登山保険は本当に必要か 公的制度で守られない2つの穴 ヤマカルテ

「登山保険、入ったほうがいいのかな」と検索して、どのページも「必要です」と返してきたので、そっと閉じた。そんな経験はないでしょうか。

私は、そのもやもやのほうが正しいと思っています。遭難したときにかかるお金のうち、公的な制度でほとんど守られている部分と、まったく守られていない部分がはっきり分かれているからです。全部まとめて備えようとすると過剰になります。

私は理学療法士(PT)として10年以上、ケガをした人が働けるようになるまでの経過を見てきました。あわせてFP3級を持っています。そして、当サイトが使っているASPには、登山保険・山岳保険の案件がありません。売る動機がないので、この記事では入らなくていい人の条件まで書きます。

読み終わるころには、自分に足りないのがどこか、1つか2つに絞れているはずです。

結論:穴が空いているのは4つのうち2つだけ

遭難で発生しうるお金を分けると、次の4つになります。

リスク公的制度でどこまで守られるか結局、自分に残るか
治療費健康保険3割+高額療養費で自己負担に上限があるほとんど残らない
捜索救助費用なし丸ごと残る
休業(働けない期間)傷病手当金。ただし被用者保険の加入者のみ、額面の約3分の2(非課税)雇用形態で分かれる
賠償責任なし既契約の個人賠償で埋まっていることが多い

穴が空いているのは、捜索救助費用休業です。治療費はよく心配されますが、実はいちばん手厚く守られています。賠償責任は、すでに持っている契約で埋まっている人が少なくありません。

遭難で発生する4つのお金と公的制度 治療費はほとんど残らない 捜索救助費用は丸ごと残る 休業は雇用形態で分かれる 賠償責任は既契約で埋まりやすい ヤマカルテ

以下、この表を1行ずつ確かめていきます。

遭難はなぜ「お金の話」になるのか

治療費には、ふつうに健康保険が使える

まずここが誤解されがちです。遭難してケガをしても、健康保険は使えます

登山は仕事ではないので、業務外の負傷にあたります。労災ではなく健康保険の対象で、窓口負担は3割。さらに月の自己負担には上限があり、超えた分は高額療養費として戻ってきます[1]

年収約370万〜770万円の人なら、上限額は次の式で決まります。

85,800円 +(医療費 - 286,000円)× 1%

医療費が100万円かかったとしても、自己負担は約9.3万円です[1]。手術と1か月の入院で100万円規模になることは珍しくありませんが、その大半は制度が引き受けています。

ただし、高額療養費の対象になるのは保険診療の自己負担ぶんだけです。入院中の食事代、差額ベッド代、保険のきかない診療は対象外。月をまたげば月ごとの計算になり、複数の医療機関にかかった場合も単純な合算にはなりません[1]治療費がゼロになる制度ではなく、青天井にはならない制度と考えてください。

医療費100万円でも高額療養費で自己負担は約9.3万円 計算式は85800円+(医療費-286000円)×1% 食事代と差額ベッド代は対象外 ヤマカルテ

公的な捜索・救助は原則無料。ただし例外がある

警察や消防による捜索・救助に、費用の請求はありません。ここも押さえておくべき前提です。

例外として知られているのが埼玉県です。2018年1月施行の条例で、県の防災ヘリによる救助が有料になりました。全国で初めての制度です。

ただし、「埼玉県の山が有料」という理解は正確ではありません。条例の施行規則が対象を厳密に定めていて、指定されているのは次の6区域だけです[4]

区域範囲
小鹿野二子山 西岳中央峰 山頂水平距離1km以内
両神山 山頂水平距離3km以内
甲武信ヶ岳 山頂水平距離5km以内
日和田山 南麓の男岩水平距離100m以内
笠取山 山頂水平距離5km以内
雲取山 山頂水平距離3km以内

日和田山にいたっては、男岩から100m以内。事実上クライミングエリアだけです。奥秩父の主稜と、岩場に限られています。

金額は飛行時間5分ごとに8,000円。2024年4月に5,000円から引き上げられました[4]。県は「過去の平均救助時間は1時間程度」としているので、1時間なら約9.6万円という計算になります。なお1回の救助で複数人が救助された場合は、手数料を人数で割った額が1人あたりの負担です[4]

対照的なのが長野県です。全国でもっとも遭難件数が多い県ですが、2026年1月の県の公式回答は次のとおりでした[5]

遭難者の救助は人命救助であることから、現時点では遭難者の国籍にかかわらず、消防や警察による地上やヘリコプターによる捜索・救助活動に係る費用の個人負担を求めておりません

同時に、費用負担のあり方について研究を開始したとも述べています[5]。いまは無料でも、この先も無料とは限りません。

費用が発生するのは、公的捜索が打ち切られたあと

では、いつからお金がかかるのか。公的な捜索が打ち切られた瞬間からです。

捜索救助サービスを運営するAUTHENTIC JAPAN社は、公的な捜索について「3日〜1週間で発見に至らない場合、捜索が打ち切られる可能性がある」と説明しています[6]。打ち切り以降は、家族の依頼で民間の捜索隊が動くことが多く、ここが有償です。

実際の運用は地域や状況によって違います。ただし費用が発生しはじめるのは公的な捜索のあとという順番は、押さえておいてください。

相場の目安は次のとおりです[6]

  • 民間の捜索ヘリコプター:1時間あたり50万円
  • 地上の捜索隊の日当:夏季3万円/冬季5万円(1人1日あたり。ほかに諸経費や装備の消耗)

冬に長期化した場合、10人で10日動けば日当だけで500万円という試算になります[6]

数字だけ見ると恐ろしいのですが、これは最悪のシナリオです。早期に発見されれば、そもそも民間の出番はありません。「数百万円かかることがある」と「たいていはそこまでいかない」は、両方とも本当です。怖がって判断するのではなく、確率と金額の掛け算で考えてください

登山の遭難で費用が発生するのは公的捜索のあと 警察・消防は費用の請求なし 3日〜1週間で打ち切りの判断 民間の捜索隊はヘリ1時間50万円で有償 ヤマカルテ

下肢骨折後に仕事へ戻れた割合 3か月26% 6か月49% 9か月60% 12か月72% 1年たっても4人に1人は戻れていない ヤマカルテ

そして、ここで守ってくれるのが傷病手当金です。業務外のケガで4日以上仕事を休んだとき、標準報酬日額の3分の2が、通算1年6か月まで支給されます[2]

ただし2つ、注意点があります。ひとつは満額は出ないこと。

とはいえ、額面の3分の2がそのまま生活の3分の2になるわけではありません。傷病手当金は非課税です。健康保険法62条が「租税その他の公課は、保険給付として支給を受けた金品を標準として、課することができない」と定めているためです[18]。所得税が引かれないぶん、手取り給与と比べた目減りは3分の1より小さくなります。「手取りの8割くらいは出る」と説明されるのは、このためです。

ただし社会保険料は免除されません。保険料の徴収が止まるのは育児休業と産前産後休業だけで(健康保険法159条・159条の3)、病気やケガの休業にその規定はありません[18]。健康保険料も厚生年金保険料も休業中は発生し続け、前年の所得にかかる住民税も納めます。「手取りの8割」は、そこを引く前の数字です。

もうひとつは、これが被用者保険の給付だということ。対象は会社員や公務員など、協会けんぽ・健康保険組合・共済組合の被保険者です。国民健康保険だけの自営業・フリーランスには、原則としてありません。支給には待期3日や給与の不支給といった要件もあるので、詳しくは加入先に確認してください[2]

いま持っている保険で、どこまで埋まるか

「何かしら入っているから大丈夫」と思っている部分を、ひとつずつ確かめます。

手持ちの保険で埋まるものと埋まらないもの 生命保険・医療保険・傷害保険・クレジットカード付帯・個人賠償責任特約 捜索救助費用はどれでも埋まらない ヤマカルテ

生命保険・医療保険:治療は出る。捜索費用は1円も出ない

生命保険の死亡保険金は、遭難による死亡でも原則として支払われます。アイゼンやピッケルを使う登山でも変わりません

根拠は法律にあります。保険法51条が定める死亡保険の免責は、自殺・契約者の故意・受取人の故意・戦争その他の変乱の4つだけで、危険な運動は入っていません[19]。標準的な約款の免責事由にも挙がっていません[20]。後で見る傷害保険の「山岳登はん免責」とは、ここが決定的に違います。

ただし、上乗せの特約は話が別です。不慮の事故で亡くなったときに主契約へ上乗せされる災害割増特約や傷害特約には、別の免責が並びます。故意または重大な過失、犯罪行為、泥酔、そして地震・噴火・津波です[20]

山では、この最後の3つが絵空事になりません。噴火に巻き込まれた場合、主契約の死亡保険金は出ても、災害割増特約の上乗せは出ないという結果がありえます。

医療保険も、入院や手術には反応します。ただしどちらも「体に起きたこと」に対する保険です。捜索や救助にかかった費用は、対象外です。ここは埋まりません。

なお、告知書では健康状態や過去の傷病歴とあわせて職業を尋ねられます[20]。内容によっては、割増保険料などの特別な条件が付くこともあります。告知した内容に誤りがあると契約を解除され、保険金が支払われない場合があるので、心当たりがあれば加入先に確認しておいてください[20]

傷害保険:「山岳登はん」という壁がある

登山で使われることの多い傷害保険には、はっきりした線引きがあります。

たとえばモンベルの野外活動保険には、山岳登はん行程中の事故によるケガは補償対象外という注記があります[7]。同社は用語をこう定義しています[7]

山岳登はん:ピッケル、アイゼン、ザイル、ハンマーなどの登山用具を使用するもの、ロッククライミング(フリークライミングを含みます。)をいい、登る壁の高さが5m以下であるボルダリングや、安全確保のためのロープを使用した人工壁でのクライミング(リード・スピードに代表されるスポーツクライミングなど)を除きます。

さらに同社のFAQでは、道具を使うかどうかだけでなく、社会通念上アイゼンやザイルの使用が妥当と考えるルートかどうかでも判断すべきだとしています[7]

少なくともこの商品では、「持っている保険で足りる」が成り立つのは無雪期の一般ルートまでということになります。同じような免責を置く商品は珍しくありませんが、線引きは会社ごとに違います。残雪期にも登るなら、自分の契約の約款で確かめてください。

登はんに対応した商品は別に用意されているので、雪の時期にも登る方は、いま持っている契約がどちらのタイプかを確認するところから始めてください。

クレジットカード付帯:登山は、そもそも対象に入っていない

「カードに旅行保険が付いているから」という声をよく聞きます。ここはいちばん誤解が大きい部分です。

国内旅行傷害保険が補償するのは、次の3つに限られます[9]

  1. 乗客として搭乗する公共交通乗用具搭乗中の事故
  2. 宿泊施設に宿泊中の火災・爆発による事故
  3. 宿泊を伴う募集型企画旅行参加中の事故

登山道での転倒も滑落も、どれにも当たりません。カード会社自身が「マイカー旅行での交通事故や日帰りの募集型企画旅行でけがをした人は対象となりません」と説明しています[9]カードや商品によって条件は異なるので、手元のカードの補償内容で確かめてください。

自動付帯か利用付帯かという話は、そのさらに手前で意味を失います。事故要件で弾かれるので、付帯の条件を調べても結論は変わりません

補償の中身も見ておきます。国内旅行傷害保険の項目は、死亡・後遺障害、入院日額、手術、通院日額。すべて定額給付型で、救援者費用(捜索救助費用)は含まれていません[9]。救援者費用が付いているのは海外旅行傷害保険のほうで、日本の山では使えません。

個人賠償責任特約:ここは埋まっている人が多い

一転して、賠償はすでに手当てされていることが多い領域です。

個人賠償責任特約は、火災保険・自動車保険・傷害保険・医療保険のどれにでも付けられます。日本損害保険協会は、この特約がそれらすべての組み合わせで補償重複になりうると一覧表で名指ししています[8]

重複したときの扱いは、保険の型によって違います。ここはFPの知識が役に立つところです。

  • 定額給付型(死亡・後遺障害・入院日額など)は、他の契約があってもそれぞれ支払われます。積み上がります[8]
  • 実損填補型(賠償責任、救援者費用、携行品など)は積み上がりません。複数の補償のうち最高補償額が支払限度額になります[8]

つまり賠償責任の特約を2つ持っていても、支払われる上限は増えません。無制限どうしなら、協会の言葉で完全重複にあたり、片方は保険料の払い損になります[8]

残った2つの空白を、どう埋めるか

捜索救助費用:ここだけが構造的な空白

改めて数字で見ておきます。2025年の山岳遭難は、発生件数3,122件、遭難者3,623人でした[3]

内訳が示唆的です。

  • 死者・行方不明者:332人(9.2%)
  • 負傷者:1,480人(40.9%)
  • 無事救出:1,811人(50.0%)

遭難者のちょうど半数が、ケガもなく救出されています[3]。態様別でも道迷いが30.9%で最多です[3]

これが何を意味するか。治療費は1円もかからないのに、捜索だけは行われたケースが、遭難のいちばん多いパターンだということです。医療保険をいくら厚くしても、この層はまったくカバーされません。

2025年の山岳遭難者3623人の内訳 無事救出1811人で50.0% 負傷者1480人で40.9% 死者・行方不明者332人で9.2% ヤマカルテ

捜索救助費用に備える方法は、大きく2つに分かれます。

  • 保険型:捜索救助費用を補償する特約や商品。事故が起きたら費用を支払い、あとで請求する
  • 会員制サービス型:会費を払っておくと、捜索そのものを手配してもらえる

この2つは似ているようで、決定的に違います。

「立て替えが要るかどうか」が、いちばん実務的な違い

保険は多くの場合、実際にかかった費用を支払ってから請求します。つまり家族が、いったん数十万円から数百万円を用意することになりえます。支払方法やサービスとの連携は商品によって違うので、ここは契約ごとの確認が要ります。

会員制サービスは、この構造が違います。たとえばココヘリは、自社の位置づけをこう説明しています[6]

治療費用の補償はできません。ココヘリは、山岳保険のような補償ではなく、捜索救助活動を提供するサービスです。その仕組みのため、会員様は多額の捜索費用を立て替える必要がなく、救助組織への依頼までワンストップで行うことができます。

治療費が出ないことと、立て替えが要らないこと。この2つは同じ仕組みの表と裏です。お金を払うのではなく、捜索という役務そのものを提供するサービスだからです。

捜索救助費用への備え方の違い 保険型は立て替えが必要になりえる 会員制サービス型は立て替え不要だが治療費の補償なし ヤマカルテ

備え方を選ぶときは、商品名ではなく次の3つの軸で見てください。

見る軸何が変わるか
立て替えが要るか遭難直後に家族が現金を用意できるか
治療費の補償があるか健康保険と高額療養費で足りるなら、優先度は低い
山岳登はんに対応しているか残雪期・積雪期に登るかで必要性が変わる

休業と後遺障害:会社員と自営業で、答えが変わる

もうひとつの空白が休業です。ここは雇用形態でまったく違います。

被用者保険の加入者には傷病手当金があります。額面の約3分の2が、通算1年6か月まで[2]。減りはしますが、ゼロにはなりません。国民健康保険だけの自営業・フリーランスには、これがありません

差は後遺障害でも出ます。障害年金の等級を比べてください。

障害基礎年金(自営業など)障害厚生年金(会社員)
対象等級1級・2級のみ[11]1級・2級・3級[10]

1級は他人の介助なしに日常生活がほとんどできない状態、2級は労働によって収入を得ることができない状態です[10][11]。かなり重い。

一方の3級は「労働が著しい制限を受ける、または労働に著しい制限を加えることを必要とするような状態。日常生活にはほとんど支障はないが、労働については制限がある」と定義されています[10]

ここで誤解しないでほしいのですが、3級も決して軽い状態ではありません。認定は障害認定基準に沿って行われ、下肢では相当に重い機能障害が求められます。「以前の仕事に戻れない」というだけで受給できるものではありません。受給には初診日や保険料納付の要件もあり、該当するかどうかは個別の判断です[10]

それでも、制度として3級という受け皿があるかないかの差は残ります。国民健康保険だけの自営業・フリーランスは、傷病手当金がないことと合わせて、公的な支えが薄い。この一点で、必要な備えの厚みは変わります。

見つからなかったとき:7年とは限らない

行方不明のまま発見されない場合、死亡が確定しません。生命保険も住宅ローンの団体信用生命保険も動かず、相続も進みません。

このとき使うのが失踪宣告です。民法では2種類が定められています[12]

  • 普通失踪:生死が7年間明らかでないとき
  • 危難失踪:死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、その危難が去った後1年間明らかでないとき

山岳遭難が「死亡の原因となるべき危難」と認められれば、1年で申し立てられる可能性があります。必ず7年待つというわけではありません

ただし危難失踪を使うには、危難に遭遇した事実を示す必要があります。そもそも山に入ったかどうかも分からない状況では、普通失踪の7年になりえます

ここでも、登山届を出しているかどうかが結果を左右します。

要る人・要らない人

判定に使う軸は5つです。

  1. 雇用形態:会社員か、自営業・フリーランスか(傷病手当金と障害年金3級の有無)
  2. 手元資金:数十万〜数百万円を、家族がすぐ用意できるか
  3. 登る山:無雪期の一般ルートだけか、残雪期・積雪期やバリエーションを含むか
  4. 単独か、家族構成はどうか:住宅ローンや扶養の有無
  5. 既契約:個人賠償責任特約がすでにあるか

登山保険が要るかどうかを決める5つの軸 雇用形態・手元資金・登る山・単独か家族構成・既契約 ヤマカルテ

3番目については、警察庁のデータも参考になります。単独登山の遭難者1,367人のうち、死者・行方不明者は15.3%。複数人の場合は5.5%で、9.8ポイントの差があります[3]

要らない人の具体像

抽象的な話を避けるために、はっきり書きます。

会社員で、無雪期の一般ルートしか登らず、既契約に個人賠償責任特約があり、当面の貯蓄に余裕がある人。この条件が揃うなら、補償を全部盛りにした総合型の登山保険は過剰です。

治療費は健康保険と高額療養費で済み、休業は傷病手当金があり、賠償は既契約で埋まっている。残るのは捜索救助費用だけなので、そこだけ手当てすれば足ります

参考までに、私の場合

一次情報として書いておきます。私はいわゆる登山保険には入っていません。入っているのはココヘリのベーシックプラン(年6,600円)と、それに統合されたジローだけです。

理由は3つあります。

ひとつ、まず見つからなければ意味がないこと。治療も補償も、発見されたあとの話です。

ふたつ、治療費は公的な保障で足りると判断したこと。私は被用者保険の加入者(会社員等)なので、高額療養費も傷病手当金も対象です。だから捜索費用さえ手当てできればいい。

みっつ、遭難したときに、自分が連絡できる状態とは限らないこと。近年はスターリンクなど衛星通信の手段も増えましたが、どれも自分で操作できることが前提です。意識があるとは限らないし、滑落して端末を失うこともあります。だから、自分が何もしなくても発信し続けてくれる機器が要ると考えました。

これは感覚だけの話ではありません。警察庁の統計では、遭難の発生件数のうち、現場から通信手段(携帯電話・無線機)を使って救助を要請した割合は76.3%にとどまります[3]

残る約4分の1には、同行者が通報した事案や、下山後に家族が届け出た事案も含まれます。だから「4件に1件は本人が呼べなかった」とまでは言えません。それでも、現場からの通報が記録されていない事案が2割以上あるのは確かです。

GPSの付いた上位プランではなくベーシックを選んだのも、理屈があります。ベーシックの発信機はGPSを持たず、探索用の電波を出し続けるだけの機器です[6]。位置情報は送りません。

それでも十分だと考えたのは、登山届を出し、家族に行き先を伝えておけば、捜索範囲はあらかじめ絞られるからです。範囲が絞れているなら、必要なのは「その中で確実に見つかること」。電波を出し続ける機器で足りる、という判断です。

逆に言えば、登山届を出さない人がベーシックを選ぶのは、噛み合っていません。備えは単体ではなく、組み合わせで決まります。

保険より先に手をつけたいのは、事故確率を下げる設計

ここまで書いておいて言うのもなんですが、いちばん確実なのは、そもそも遭難しないことです

遭難の態様別で最多なのは道迷いの30.9%、次いで転倒19.2%、滑落17.3%[3]上位3つとも、装備と判断で確率を下げられるものです。

山岳遭難の原因上位3つ 道迷い30.9% 転倒19.2% 滑落17.3% 登山届と地図読み・下りの歩き方・撤退の基準で確率を下げられる ヤマカルテ

そして登山届です。これは費用がゼロで、捜索範囲を絞り、危難失踪の証明にもなり、私のようにベーシックプランで足りると判断する根拠にもなります。費用対効果でいえば、どの保険よりも先に手をつけるべきものです

持ち物の抜けが心配な方は、装備チェックリストを使ってください。登山届と、発信機を持っている人向けの項目も入れてあります。加入していても、家に置いてきたら意味がありません

まとめ:埋めるべき穴は、たいてい1つか2つ

  • 保険診療の自己負担には上限がある。健康保険3割+高額療養費で、医療費100万円でも自己負担は約9.3万円[1]。ただし食事代・差額ベッド代は別[1]
  • 公的な捜索・救助は原則無料。有料化しているのは埼玉県の指定6区域のみで、県内一律ではない[4]
  • 費用が発生するのは公的捜索が打ち切られたあと。民間ヘリは1時間50万円、地上隊の日当は夏3万円・冬5万円[6]
  • 遭難者の50.0%は無事救出されている[3]。治療費はかからないが捜索は行われた、という層がいちばん多い
  • クレジットカードの国内旅行傷害保険は、登山中の事故を拾えないことが多い。例に挙げたカードでは事故要件が3つに限定されている[9]
  • 傷害保険には山岳登はんの免責を置くものがある。例に挙げた商品では、アイゼンやピッケルを使う行程が対象外[7]
  • 賠償責任は既契約で埋まっていることが多い。実損填補型は重複しても積み上がらない[8]
  • 国民健康保険だけの自営業・フリーランスは薄い。傷病手当金が原則なく、障害年金にも3級がない[2][10][11]
  • 復職までは下腿骨折で平均4.17か月、下肢骨折全体では1年たっても4人に1人が戻れていない[14][15]。立ち仕事ほど長い

自分に足りないのは、たいてい1つか2つです。全部入りを買う前に、手元の保険証券を5分開いてみてください。そのうえで残った穴だけを埋めれば、費用は驚くほど小さくなります。

そして浮いたぶんは、登山届と、撤退できる余裕のある計画に回してください。保険の出番は事故が起きたあとですが、計画は事故そのものを減らします

参考文献

  1. 厚生労働省 2026. 高額療養費制度を利用される皆さまへ/高額療養費制度の見直しについて(令和8年8月診療分から).
  2. 全国健康保険協会 2026. 傷病手当金(給付と手続き).
  3. 警察庁生活安全局生活安全企画課 2026. 令和7年における山岳遭難の概況等.
  4. 埼玉県 2025. 埼玉県防災ヘリコプターの救助活動に係る手数料/埼玉県防災航空隊の緊急運航業務に関する条例施行規則(平成29年埼玉県規則第46号)別表・埼玉県告示第1128号.
  5. 長野県危機管理部・観光スポーツ部 2026. 県民ホットライン「山岳遭難にかかわる対応について」(2026年1月20日回答).
  6. 株式会社AUTHENTIC JAPAN 2026. ココヘリ公式サイト(プラン・発信機仕様・よくある質問).
  7. モンベル 2026. モンベルのアウトドア保険(野外活動保険・山岳保険)/よくある質問「野外活動(野あそび)保険と山岳(山行)保険のどちらに入るべきか」.
  8. 一般社団法人日本損害保険協会 補償重複の対応に関するガイドライン/補償重複となる可能性がある商品(特約)一覧表【標準例】.
  9. 株式会社ジェーシービー 2026. クレジットカード付帯の保険を徹底解説/国内旅行傷害保険.
  10. 日本年金機構 2026. 障害厚生年金の受給要件・請求時期・年金額.
  11. 日本年金機構 2026. 障害基礎年金の受給要件・請求時期・年金額.
  12. 民法(明治29年法律第89号)第30条・第31条.
  13. 群馬県谷川岳遭難防止条例(昭和42年).
  14. Ganta A, Ferati SR, Gibbons K, Fisher ND, Konda S, Egol K 2024. Risk factors for delayed return to work following tibial shaft fracture surgery. Eur J Orthop Surg Traumatol. 34(6):2903-2907.
  15. MacKenzie EJ, Morris JA, Jurkovich GJ, Yasui Y, Cushing BM, Burgess AR, DeLateur BJ, McAndrew MP, Swiontkowski MF 1998. Return to work following injury: the role of economic, social, and job-related factors. Am J Public Health. 88(11):1630-1637.
  16. Cunningham BP, Dugarte AJ, McCreary DL, Parikh HR, Lindell JS, Williams BR, Reams M, Pena FA 2021. Immediate weightbearing after operative treatment of bimalleolar and trimalleolar ankle fractures: faster return to work for patients with nonsedentary occupations. J Foot Ankle Surg. 60(1):11-16.
  17. MacKenzie EJ, Bosse MJ, Kellam JF, Pollak AN, Webb LX, Swiontkowski MF, Smith DG, Sanders RW, Jones AL, Starr AJ, McAndrew MP, Patterson BM, Burgess AR, Travison T, Castillo RC 2006. Early predictors of long-term work disability after major limb trauma. J Trauma. 61(3):688-694.
  18. 健康保険法(大正11年法律第70号)第62条(租税その他の公課の禁止)・第159条(育児休業等期間中の保険料の徴収の特例)・第159条の3(産前産後休業期間中の保険料の徴収の特例).
  19. 保険法(平成20年法律第56号)第51条(死亡保険契約における保険者の免責)・第80条(傷害疾病定額保険契約における保険者の免責).
  20. 公益財団法人生命保険文化センター 2026. 生命保険Q&A「保険金や給付金が受け取れないのはどのような場合?」「健康上問題があると、生命保険は契約できないの?」.