
「子育てが少し落ち着いて、そろそろまた山に行きたい」 「でも、ブランクが長くて、どの山から再開すればいいのか分からない……」
育児や仕事で1年以上山から離れ、いざ復帰しようとしたとき、いちばん迷うのが「最初の一座」をどこにするかではないでしょうか。ここで張り切って昔登ったお気に入りの山を選んでしまうと、思わぬ事故やケガにつながりかねません。
結論からお伝えすると、復帰の最初の一座は「物足りないくらい控えめな山」を選ぶのが正解です。理由はシンプルで、ブランク中に体力は自分が思う以上に落ちており、しかも山の事故はそうした体力低下と疲労が重なる場面で起きやすいからです。
私は理学療法士(PT)として10年以上リハビリの現場に立ち、自分自身も育児ブランクから登山に復帰した経験があります。この記事では、研究データと臨床の視点から「最初の一座」を安全に選ぶための具体的な基準をお伝えします。読み終えるころには、迷いなく一座目を決められ、「楽しかった」で終わる復帰登山の計画が立てられるはずです。
復帰の全体像の中で、この記事がどこに位置するのかも先に押さえておきましょう。
この記事は育児ブランクからの登山復帰 完全ロードマップの Phase 2|最初の一座を選ぶ にあたります。復帰の全体像から確認したい方は、先にロードマップへどうぞ。
なぜ「最初の一座選び」で復帰の成否が決まるのか
最初の一座でつまずく人の多くは、「昔の自分」を基準に山を選んでしまいます。まず押さえてほしいのは、ブランク中の体力低下は、思っているより速く・大きいという事実です。
体力は数週間で、はっきり落ちる
持久力の指標である最大酸素摂取量(VO2max=体がどれだけ酸素を使えるか)は、トレーニングをやめると2〜4週間で測定できるほど低下しはじめます[1]。持久系アスリートでも、わずか2週間の中断でVO2maxや心臓の1回拍出量が有意に下がったという報告があり[2]、21の研究をまとめた解析では、低下の大部分は中断のかなり早い段階で起きることが示されています[3]。1年単位のブランクなら、体力が大きく目減りしているのは当然と考えたほうが安全です。
どのくらい落ちるかの詳しい目安は、別記事の登山ブランク1年以上…体力はどこまで落ちる?にまとめています。
でも、戻せる。だからこそ焦らない
落ち込む必要はありません。失った持久力は、段階的なトレーニングで数週間〜数ヶ月かけてきちんと戻せることも分かっています。中高年アスリートでも、再開によって低下した能力の多くは回復可能とされ[4]、50代の競技者でも12週間の計画的な再トレーニングでVO2maxがほぼ元通りになったという報告があります[5]。
問題は「戻るかどうか」ではなく「戻る前に無理をしないかどうか」です。スポーツ医学の研究では、休止明けに負荷を急に上げると、ケガや不調のリスクが高まること、逆に段階的・計画的に増やせばリスクを抑えられることが繰り返し示されています[6]。最初の一座は、まさにこの「急に上げない」を実践する最初のステップなのです。
PTが考える「最初の一座」5つの条件
では、具体的にどんな山を選べばいいのか。私が復帰者にすすめる5つの条件です。
条件①|標高差・コースタイムに「大きな余裕」がある
最初の一座は、ブランク前の感覚で「半分以下」と感じるくらいがちょうどよい目安です。累積標高差は小さく、コースタイムは短く。日本の中高年登山者を対象にした全国調査では、定期的な運動・登山の頻度・適正なBMI・経験の豊富さが、登山中の疲労やトラブルを防ぐ主要因でした[7]。裏を返せば、ブランクでこれらが揃っていない復帰直後は、疲労が出やすい状態だということです。
条件②|「下り」で無理をしない山を選ぶ
意外に思われるかもしれませんが、山の事故がもっとも多いのは登りではなく下りです。オーストリア・アルプスの9年間の調査では、転倒事故の75.3%が下りで発生し、死亡例は軽傷例より平均で約5歳高齢でした[8]。
理由のひとつは、疲労で身体の感覚が鈍ることです。健康な人でも、30分の下り歩行のあとは膝の関節位置覚(関節の角度を感じる感覚)が有意に悪化したという研究があります[9]。下りが長い・急な山は、復帰の一座目には向きません。
下りの安全な歩き方は登山の「下り」で膝を守る歩き方で詳しく解説しています。
条件③|エスケープ・撤退がしやすい
「ダメそうなら引き返す」を実行できる山かどうかは、復帰登山で最重要の条件です。疲労は、判断力と身体の両方を確実に削ります。高齢男性を対象にした大規模な前向き研究では、疲労が強い人ほど転倒リスクが約25%高いと報告されています[10]。
途中に分岐やエスケープルートがある、ピストン(往復)で引き返しやすい、ロープウェイで標高を稼げる——そんな「いつでも降りられる」山を選びましょう。
条件④|鎖場・岩場のない、よく整備された道
復帰直後はバランスと体幹も鈍っています。鎖場や急な岩場は、わずかな疲労やふらつきが大きな事故に直結します。まずは登山道がしっかり整備された、危険箇所の少ないルートを選んでください。憧れや懐かしの難ルートは、数座こなして体を慣らしてからで十分間に合います。
条件⑤|単独より「時間と人の余裕」を持つ
最初の一座は、できれば信頼できる仲間と、しかも時間にたっぷり余裕を持って。コースタイムどおりに歩けることを前提にせず、1.3〜1.5倍かかる想定で計画を立てます。早出・早着を徹底し、午後の早い時間に下山を終えるスケジュールが理想です。
膝・足首に不安がある人の追加チェック
過去に膝や足首を痛めたことがある人は、もうひとつ慎重に。
膝に不安がある人は、復帰前に予防の知識を入れておきましょう。痛くなる前の対策は登山で膝が痛くなる前に知っておきたい3つのことにまとめています。
足首の捻挫グセがある人は、特に下りで注意が必要です。慢性的に足首が不安定な人は、下り歩行で腓骨筋(足首を守る筋肉)の働きが低下していることが分かっており[11]、さらに疲労が加わるとバランスと関節の感覚が落ちて、捻挫を繰り返しやすくなると報告されています[12]。片脚立ちがふらつく人は将来の捻挫リスクが高い(リスク約2.5倍)というデータもあるため[13]、復帰前のバランス練習が効果的です。詳しくは登山で足首をひねった時の対処・予防を参考にしてください。
久々の登山なら、装備の点検も
体だけでなく、しまい込んでいた装備も劣化していることがあります。久々の山行前に、登山靴のソール剥がれ・レインウェアの防水・ヘッドランプの電池あたりは必ず確認を。何を揃え直すべきかは富士山の持ち物・装備リストが、富士山以外の山にもそのまま応用できます。
やりがちなNG 3つ
最後に、復帰者が陥りやすい失敗を挙げておきます。
- いきなり憧れの山に行く——体力が戻る前に難所へ挑むのは、事故への最短ルートです。憧れの山は「3座目以降のご褒美」に取っておきましょう。
- 「昔できたから大丈夫」と過信してしまう——ブランク明けは、本人の自信と実際の体力がもっともズレやすい時期です。中高年を対象にした研究では、高齢になるほど事故が重症化しやすいと報告されています[14]。これは年齢の高い層のデータですが、「自信と実力のズレが事故を招く」という構図は、ブランク明けの世代にもそのまま当てはまります。
- コースタイムどおりに歩ける前提で計画する——復帰直後は標準タイムより遅くて当たり前。余裕のない計画は、焦り→疲労→転倒の悪循環を生みます。
まとめ:最初の一座は「物足りないくらい」でちょうどいい
- ブランク中、体力(VO2max)は数週間で、思った以上に低下する[1][3]。でも段階的な再トレできちんと戻せる[5]
- だからこそ、最初の一座は急に負荷を上げないことが最優先[6]
- 選ぶ基準は5つ——①標高差・コースタイムに余裕/②下りがきつくない/③撤退しやすい/④鎖場なし・整備された道/⑤時間と人の余裕
- 事故が多いのは下り。疲労で感覚が鈍る前に降り終える計画を[8][9]
- 膝・足首に不安がある人は、復帰前のケアとバランス練習を[13]
最初の一座は、記録でも標高でもなく、「また山に来たい」と思える一日になることがいちばんのゴールです。控えめに、でも確実に。物足りないくらいの山から、あなたの登山ライフをもう一度ゆっくり積み直していきましょう。次の一歩が、不安より楽しさの大きい一日になりますように。
私自身の復帰の記録も公開しています。1年ぶりの復帰一座の日誌は御在所岳ヴィアフェラータの記録、この記事の選び方を子連れで実践した一日は子どもを背負って金華山へをどうぞ。
参考文献
- Neufer PD. 1989. The Effect of Detraining and Reduced Training on the Physiological Adaptations to Aerobic Exercise Training. Sports Medicine.
- Chen YT, Hsieh YY, et al. 2021. Two weeks of detraining reduces cardiopulmonary function and muscular fitness in endurance athletes. European Journal of Sport Science.
- Zheng J, Pan T, et al. 2022. Effects of Short- and Long-Term Detraining on Maximal Oxygen Uptake in Athletes: A Systematic Review and Meta-Analysis. BioMed Research International.
- Burtscher J, Strasser B, et al. 2022. The Impact of Training on the Loss of Cardiorespiratory Fitness in Aging Masters Endurance Athletes. International Journal of Environmental Research and Public Health.
- Lepers R, Mater A, et al. 2024. Effect of 12 weeks of detraining and retraining on the cardiorespiratory fitness in a competitive master athlete: a case study. Frontiers in Physiology.
- Gabbett T. 2019. How Much? How Fast? How Soon? Three Simple Concepts for Progressing Training Loads to Minimize Injury Risk and Enhance Performance. Journal of Orthopaedic and Sports Physical Therapy.
- Yamamoto M, Yamazaki T. 2003. A Nationwide Survey of Middle-Aged Mountaineers of Japan. Japanese Journal of Physical Fitness and Sports Medicine.
- Faulhaber M, Pocecco E, et al. 2017. Fall-related accidents among hikers in the Austrian Alps: a 9-year retrospective study. BMJ Open Sport & Exercise Medicine.
- Bottoni G, Heinrich D, et al. 2015. The Effect of Uphill and Downhill Walking on Joint-Position Sense: A Study on Healthy Knees. Journal of Sport Rehabilitation.
- Renner SW, Cauley J, et al. 2020. Higher Fatigue Prospectively Increases the Risk of Falls in Older Men. Innovation in Aging.
- Fujimoto S, Kawamoto S, et al. 2025. Electromyography during slope walking in young adults with ankle instability: A cross-sectional study. Next Research.
- Liu Y, Song Q, et al. 2022. Effects of fatigue on balance and ankle proprioception during drop landing among individuals with and without chronic ankle instability. Journal of Biomechanics.
- Trojian T, McKeag D. 2006. Single leg balance test to identify risk of ankle sprains. British Journal of Sports Medicine.
- Gasser B. 2019. The Older the Hiker, the More Severe the Injury – A Retrospective Analysis of Mountain Hiking Accidents in the Swiss Alps from 2009 to 2018. Praxis.